せわしない毎日から脇道にそれ、緑の田園地帯のブックカフェへ―『つぐみ Books & Coffee』

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武井仁美 まちの編集社(株式会社まちごと屋)

Photo by市根井

インタビュー

天井まで届く本棚に約10,000冊の蔵書がぎっしり並ぶ圧巻の書庫。元・図書館司書さんが開いた『つぐみ Books & Coffee』は、安中市の緑豊かな田園地帯にひっそりと佇むブックカフェです。そこは、訪れた人の日々の暮らしに心地よい余韻を残す場所でした。

つぐみ Books & Coffee 安中市下後閑1465-2 10:00-19:00 定休日:水・木・金

せわしない毎日を象徴するようなバイパス道路から離れた瞬間から、『つぐみ』という体験は始まっているかのようでした。川を渡り田畑を抜ける道のりがすでに気持ち良く、ドアを開ければゆったりと落ち着ける空間に、やさしさと美味しさの満ちた料理と飲み物、時間を忘れて眺めてしまう本棚。 非日常的な刺激というよりも、日常の豊かさに気づかされるような気がしました。

どんな要素がこのお店をかたち作っているのでしょうか。庭を眺めるテラス席で、店主の田中志野さんと、そのお母様でお料理担当の祐子さんにお話を聞きました。

―名前にはお店の個性となる色々な要素や思いが込められていると思いますが、店名『つぐみ』はどんな由来からでしょうか?

志野さん 私が鳥好きなので、鳥のツグミからつけました。ツグミの由来は“口をつぐむ”からきているそうです。そこから、ブックカフェなので「たまには口をつぐみ、本を読むのもいいですよ」という気持ちを込めました。でも、それもお店での過ごし方の一つで、それだけじゃない。今はコロナ禍で中々難しいですが、おしゃべりを楽しんでもいいし、その人にとっての心地よい過ごし方をしてほしい。意味を狭めたくないと、店名の表記はひらがなで『つぐみ』にしました。

※ツグミは渡り鳥で、夏になると日本からいなくなってしまうことから、口をつぐんでいると捉えられていた。

志野さん  そのほか、私が公務員を辞めお客様へ珈琲を〈注ぐ身〉になったこと。父が蒐集した本たちを私が引き継ぐことを含め、誰もが過去から未来へ、社会や環境など様々なものごとを〈引き継ぐ身〉であること。金継ぎのように壊れたもの綻んだものを修復する〈継ぐ身〉になりたいということ。自分の考えや姿勢を積極的に〈告ぐ身〉でありたい、という意味もあります。お客様との会話の流れで店名について聞かれることもあるのですが、これを長々と説明するのは気が引けるので、「鳥が好きなので」とだけ答えてしまうこともあるのですが…(笑)。でも冬になると庭にツグミが来てくれて、『つぐみ』でツグミに会えるということが、私と家族はもちろん、お客様も喜んでくださるので嬉しかったです。

―お店を開くまでは、志野さんは安中市役所にお勤めで配属は図書館だったそうですね。子どものころから図書館で働くことを志して、司書として念願の場所でお仕事をされていたと思うのですが、そこから珈琲を〈注ぐ身〉に変わるきっかけはどんなものだったのでしょうか?

志野さん 責任ある行政職員なのでそんなに簡単に辞めるつもりはなかったのですが、漠然と「いつかはブックカフェをやりたいな」と考えるのが楽しくて、アイデア帳のようなものはずっとつけていました。旅行が好きで、各地のカフェや書店や文化施設の良かったこととか、イベントのこととか、お手本にできそうなものとか。見返してみると、一番古い日付だと平成25年ですね…!昔から思いついたことをノートに書くのが好きで、テーマによって色々と書きつけるノートがあるんです。そういえば、ブックカフェ用の構想ノートは、他よりもちょっと良いノートを使っていましたね(笑)。

―漠然とした憧れだったものが具体的になったのはどんな出来事からですか?

志野さん 思ったより早く念願だった図書館に配属になったというのは大きなことでした。行政職員になっても希望の部署にすぐに配属されるとは限らないのですが、予想外に早く目指していたものに近づいたというか。そして実際に働いてみたからこそわかったこともあって。日々図書館で接する人は、すでに本や図書館が好きで来てくれる人が大半で、図書館が身近でない人に中から良さを伝えることの難しさを感じました。「図書館の外だからこそできることがあるのではないか」という思いに至ったのも、公務員を辞めてブックカフェを開く後押しになりました。これからも外から〈告ぐ身〉として、本や図書館の良さを伝えていきたいです。

日本十進分類法(図書分類)では0~9類まで幅広い蔵書
多いのは建築、工芸、美術、芸術関係で
文庫や新書や雑誌、絵本に児童書もある

志野さん お店の建物も、そもそも父の本が自宅に収まりきらなくて、近いところに倉庫を建てようか、という話からはじまり、せっかくなら本に囲まれながら私が住みたい、ゆくゆくはブックカフェができるようにと、どんどん話がふくらんでいって。着工のタイムリミットや、私の仕事の上での心境の変化や、色々な波や縁が重なって本格的にお店を開くことになりました。本もそうですが、店内の椅子や美術品なども父がコツコツ集めながらも日の目を見ることがなかったものたちなので、そういったところにもめぐりあわせを感じました。

―店内のかなりのスペースが書庫になっていますよね。本に囲まれた中で心静まる、図書館に居る時のような感覚を味わえます。公共の図書館だと、珈琲を片手に…というのができないですが、ここではそういった読書体験ができるところが嬉しいですね。

志野さん 図書館という空間が大好きな私でも、飲食を我慢しながら無音の中で本を読み続けるのは辛いなと常々思っていて。図書館は、好奇心を育てる場所として調査や学習を援助する役割はもちろんですが、書物に囲まれた独特の安らぎの場としての側面もあると思うので、『つぐみ』も図書館のようでありながら音楽を聴きつつ本が読める場にしたいと思っていました。正確な数は出せてないのですが、およそ8,000~10,000冊が置いてあります。それでも父の蔵書のすべてが収まりきったわけではないので、当初の目的だった倉庫の役割は果たしきれていないですね…(笑)。書庫の中の本たちは、少しずつ足したり替えたりしています。本が好きなお客様だと、珈琲が冷めちゃうのではと心配になるくらい、ずっと書庫に籠もっていらっしゃる方もいますね。

祐子さん 何冊もお気に入りを書庫から持って来て、テーブルにどんと積み上げて楽しんでいる方とか、それぞれ思い思いの形で本と過ごしてくれています。初めての方だと、「こんなに本がたくさんあるとは!」と驚く方もいます。本を読みながら珈琲やお菓子を召し上がって、うとうとしてきたらそのまま椅子に身をまかせて、目が覚めたら庭に出て背伸びして…と、“つぐみ満喫フルコース”を楽しんでくださるお客様も増えてきて、見ているこちらも嬉しくなります。

―心穏やかに本に向き合える空間と時間。慌ただしい毎日の中で、実はすごく特別なものですね。 本に囲まれる心地良さとか、『つぐみ』の蔵書で芽生えた興味や好奇心が、「図書館にも行ってみよう」と繋がっていくといいですね。


左上:バナナブレッドとつぐみオリジナルブレンド
しっとり食べ応えのあるおやつと相性よしの珈琲
下:釉掛けの指の跡が愛らしいコーヒーカップは
昔から親交のある赤城の陶芸家さんのもの

― お店でいただける食事は、お蕎麦や玄米ごはんのおむすびなど、いわゆる“カフェっぽい”ものとはまた少し違いますね。メニュー表も品々の丁寧な説明や、「冷たい飲み物は飲み過ぎに注意」など愛あるメッセージがあって、隅から隅まで読み物として熟読したくなります。

志野さん 食事メニューは我が家の食卓の延長線上のようなもので、父の持病がきっかけで色々な食事法を試してみた中で、ストイックにならずに食する楽しみも忘れずに日々続けているものです。私たちは毎日の暮らしが変わりましたけど、これでなければいけないということはないので、同じようなお悩みや興味をお持ちの方には「私たちにはこれが良かったよ。」という感じでお伝えしています。また、体に良いものをと質を追い求めすぎると日常的な食事やおやつとはかけ離れた値段になってしまうので、その落としどころは苦心しました。メニュー表は、私が根が“おせっかい”で“伝えたがり”なので、ついつい文字数が増えてしまうんです(笑)。

穏やかに健やかにお腹と心を満たす食事
お蕎麦は定番・もり蕎麦のほか
季節によって夏野菜やきのこの蕎麦も登場する

祐子さん お蕎麦も年末に必ず打っていましたがお店で毎日出すとなると手がかかりますね。でもお蕎麦があることで“カフェ”に馴染みのなかった方でも来店しやすいと感じていただけるようで、幅広い年齢層の方が来てくれるようになったので、良かったなと思っています。

志野さん たまにピタパンなど期間限定で変わったメニューを出したこともあるのですが、メニュー数を増やすことで食品ロスも増えてしまうのは私たちが望むことではないので、風呂敷を広げ過ぎないということも大切にしています。『つぐみ』にはセットメニューがないのもその理由からで、お客様それぞれ適量も好き嫌いも違う中で、食べ過ぎず自分に合ったものを組み合わせてほしいと思っています。ご注文の際も、悩んでいるお客様には「足りなかったら後から足してもOKです」「お腹がいっぱいになってしまったらおやつをキャンセルしても大丈夫ですよ」とお伝えしています。

ごま塩海苔おむすび(300円)とおいなりさん(80円)と
お味噌汁(200円)を組合わせてみた
優しく炊いた玄米・雑穀ごはんとゴマの食感が良い

祐子さん ありがたいことにお客様も私たちの考えに共感してくださって、上手に組み合わせて注文してくださるので、食べ残しも本当に少なくて。いつも空になってきれいに返ってくるお皿を見ては感動しています。週の営業を終えた時の生ごみの量が三角コーナーひとつぶんくらいで収まってしまうのは、開店一周年を迎えた『つぐみ』の密かな自慢です!

※『つぐみ』では、仕込みの際に出る野菜や果物の皮、ドリップ後の珈琲豆の粉なども含めた生ごみをコンポストし、堆肥として再活用している。

―ちょっと話題を変えまして、生まれ育ち、お店も営んでいる『安中』という街やお店のある『下後閑』という土地について、田中さんはどんな感覚をお持ちですか?

志野さん 何ですかね…。良くも悪くも普通、いや、普通という言葉は適してないかもしれないですね。住んでいる人みんなが自分の暮らしを営んでいるというか、“日常生活の街”という感じがします。だから、「ここにお店をあけても誰がくるの?」「無理でしょ?」と言われたりもしました。

―確かに商売をするための立地としては不利だと思いますが、そこはあまり重要ではないと。

志野さん そうですね。儲けようと思って始めたことではないので、“場所があるということ”を重要に思っています。いますぐ必要とされていなくても、のちのち「意外とあってよかったよね」とこの地域の人が日常の中で普通に足を運んでもらえたら理想です。今は集まることや顔をあわせることが難しい日々ですが、この状況が収まった時の日常に、『つぐみ』という“会える場所がある”ようにしておきたいですね。

志野さん カフェでの食事などを目的に訪れてくださるほかに、店の表の野菜直売コーナーに寄ってくださるご近所さんもいて定着しつつあります。今後コロナの状況が落ち着けば、ワークショップ・古本市・クラフトマーケットなどやりたいことはたくさんあるんです。さらに、自分以外の誰かのやりたいことや新しい出会いも受け止めたいので、どんな場所にでもなれるように余白も持たせて、「あのお店は何だかいつも面白いことをやっているね」と思ってもらえるようになりたいです。

―お店に並ぶものやメニュー、何気ない店内の貼り紙など、どれも誠実な思いやストーリーが感じ取れます。お店全体が一つの媒体・メディアとしてやさしいメッセージを発していますよね。

志野さん そう言っていただけるととても嬉しいです。場所があると、自分が気になったものや、使ってみたいプロダクト、やってみたいことをすぐ試して発信できるのが嬉しいです。上手くいかなかったり試行錯誤も楽しくて、毎日が自由研究のような(笑)。でも発信については、やはり根が“おせっかい”で“伝えたがり”なので、親切の押し付けにならないよう気を付けています。図書館でもお店でもリアルな場所の良いところは、伝えたいことと人との距離がほどよく取りやすいところですね。「気になる人はよかったら受け取ってください。」というくらいのモノや情報の置き方で、あとは人それぞれの感じたままに選び取ってもらえれば。 そういうスタンスは、図書館業務で身についたことが今も活きています。

左上:手のひらもホッとするお抹茶(お菓子付き)
下:桃のコンポートジュレのパフェと山のきぶどうソーダ
ドリンクのストローは天然植物由来で自然に還る

―情報量は多いかもしれないけど、その置き方がやさしい。誰もが居心地良く感じるのはそこかもしれませんね。お客様はどんな方が多いですか?

志野さん お昼時はランチをしに来てくださる女性のグループや、ご夫婦・カップルなどのお客様が多いですが、最近はおやつで一休みという常連さんも増えてきました。夕方は、時々男性の方ばかりというタイミングもあって、私と母がこっそり“おじさんタイム”と呼んでいる愛すべき時間帯です(笑)。 カフェというと、どうしても男性は入りにくくなりがちかと思うので、お一人でも気兼ねなく寄っていただけるのは嬉しいですね。

祐子さん お客様はそれぞれお一人でいらっしゃるのですが、たまたま時間が重なるとその時間は男性ばかりの“おじさんタイム”になります。お客様それぞれ思い思いに過ごしていたり、顔見知りになった方たちがたまに言葉を交わしていたりと、良い時間が流れています。

志野さん 市外から定期的に通ってくださる常連さんもいらっしゃいます。お店の建物を素敵で立派に仕上げてもらったおかげで、むしろご近所さんの方が構えてしまって入りにくいという声も聞こえてくるですが、ぜひもっと気軽に日常のお店として来ていただけたら嬉しいです。

祐子さん 長靴でも仕事着でも気兼ねなくお入りいただきたいですし、テイクアウトやお買い物でのご来店も大歓迎です!

つぐみの店休日は週に三日。とは言え、納得のいく食材をあちこちへ仕入れに出かけたり、手間ひまをかけ仕込みをしたりで完全なオフというのはほとんど無いそう。「無理矢理詰め込めば一日でできるかもしれないけど…。」お店を営む人も日常を穏やかに健やかにと、このサイクルにしているとのこと。

今回のインタビューでは、お店を取り巻くことひとつひとつ、“何を大切にしたいか”を誠実に考えて選んで、『つぐみ』というお店がそこにある、という印象を受けました。そのひとつひとつは、お店を訪れる人に対しては「そっと置いてあって、気になったらいつでも手に取れる」という距離感にあり、とても心地良いのです。

せわしなく過ごしていると日常の様々な選択をないがしろにしがちですが、折あるごとに、『つぐみ』店内のそこかしこにそっと置かれているものに触れて、素晴らしき日常に立ち返りたいものです。

フォトギャラリー

祐子さんは富岡・動楽市にも出品するクラフト作家で、店内の椅子に敷かれているノッティング技法の手織マットは祐子さんの手仕事の品。 毎年栽培・刈取りから祐子さんが作る箒も店内で購入できる。そのほか『つぐみ』がセレクトした様々な雑貨や食材なども並んでいる。

テラスには『コブツグミ』(古物+ツグミと名付けた古本部門)による販売古書が置いてある。ラインナップは、うっかり2冊買ってしまった本や読み終わった文庫本などで、売上の一部はチャリティに寄付する。
※書庫や店内に置かれている本は、カフェでの閲覧のみで販売はしていない。

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