レンガ倉庫と運命的に出会い移住。「古道具・熊川」店主が下仁田に見た大きな可能性。

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市根井直規 まちのわーくす

インタビュー

大正15年に建てられ「蚕の繭」の保管に使われていた下仁田駅前のレンガ倉庫が、2018年に「古道具・熊川」として生まれ変わりました。新品とは異なる古道具の味わい、東京から下仁田に移転・移住した経緯、そして地方-都会論までもをお話しいただき、下仁田への愛にあふれる思想に迫りました。


photo by 木暮伸也

上信電鉄・下仁田駅を出て、北側にあるレンガづくりの大きな倉庫。

養蚕が盛んだった過去、繭を保管する場所として使われていました。

1970年ごろから製糸工場が続けて閉鎖し、養蚕農家は激減。こちらの倉庫も使われなくなり、長い期間眠りにつくことに。

しかし2018年、偶然通りかかった「東京で古道具屋を営む夫婦」によって命を吹き込まれることになります。

photo by 木暮伸也

現在の下仁田倉庫は、アンティークな家具やオブジェが並べられて趣のある空間。

レコードプレイヤーから流れる心地よい音楽が、倉庫の大きな壁や天井に反響して身体を包みます。


photo by 市根井直規

これを読んでいるみなさまからの「なぜ?」という声が聞こえてくるほど、不思議なストーリー。

こちらの倉庫で「古道具・熊川」を営む西原さんに、古道具の面白さや移住までの経緯、そして「下仁田」という町に思うことを伺いました。

古道具は、「綺麗すぎる社会」へのアンチテーゼ


photo by 市根井直規

— この棚とか、あのベンチとか…どれも面白い形をしていますね。

西原さん ここには、本物の職人さんが作ったものと、そうでない人が作ったものが混在しています。職人の家具は基本的に決まった型や製法に沿って作られて、その枠の中でオリジナリティを出すことになるのですが、器用な素人…つまり「作れちゃった人」が作ったものにはルールがありません。

だから重要な部分がいい加減な作りになっていたり、素材がバラバラだったりすることがあって、その無作為さが面白い造形を生み出しているんです。たぶん、「◯◯ちゃん、ちょっとベンチ作ってよ!」みたいな感じで頼まれたんだと思いますけどね(笑)。


photo by 市根井直規

西原さん この棚に関しては、私が色を落として取っ手を付け替えたものです。おじいちゃん、おばあちゃんの家にあるような和家具って、そのままだと重い印象になるんですよね。色が濃すぎたり、ニスっぽい光沢があったりして。存在感がありすぎるというか。

でもリペアを施すことによって、現代の部屋にもマッチしやすい家具になります。100年前のタンスなどは木目自体に黒ずみが入るので、「綺麗だけど新品じゃない」という独特の雰囲気になって味が出るんですよ。

─ 綺麗だけど新品じゃない…。奥行きがあって、惹かれるキーワードですね。

西原さん 綺麗すぎるのって、つまらないじゃないですか。見た目的な綺麗さ、衛生的な綺麗さも含めて。今はどんな場面でも綺麗さが求められている気がしていて、その結果みんな同じようなものを使っている。そんな社会へのアンチテーゼでもありますね。

─ 古道具の中には、いわゆる「使えるもの」と「使えないもの」があると思うのですが、「使えないもの」にはどのように向き合えばよいのでしょう。

西原さん 単純にオブジェとして飾ってもいいですし、別の使い方をするという方法もあります。たとえばこの鳥籠は底が抜けてしまっていますから、ガラスドームのように花を入れて飾ることができるし、頂点から電球を通せば変わったランプシェードのように使うこともできる。


photo by 市根井直規

西原さん その他にも、江戸時代の徳利を一輪挿しに使ったり、点滴スタンドをポールハンガーとして使ったり。一見しただけでは役に立たなそうなものを、どうやって使おうか考えるのは面白いですよ。

ついでに寄った下仁田、その日のうちに「貸せるよ」


photo by 木暮伸也

─ いろいろな場でお話されているとは思うのですが、移住した経緯をあらためて教えてください。

西原さん もともと建築に興味があったこともあり、妻と一緒に南牧村の養蚕農家を見に行ったんです。その帰り道に下仁田の標識が見え、「下仁田か…、もう二度と来ないかもしれないから、ついでに寄っておこう」ということで駅の方に車を走らせました。

─ 最初から下仁田に興味があったわけではないと。

西原さん そうです。しかしいざ下仁田町に入ると、まず大きな木造建築が目に入りました。これは素晴らしい、と思って近くに来てみたら、その奥にはもっと魅力的なレンガ倉庫があったんです。

当時、東京にあった店の移転を検討していたので、勇気を出して近所の人に話しかけたら「社長に聞いてみるよ」とおっしゃって、その日のうちに所有者の方とお話することができました。帰り道に電話が来て、「貸せるよ」と。

─ 地方ならではのスピード感!

西原さん そして妻と相談して、「探してもあれ以上の物件はなかなか見つからないよ」と意見が一致したので、移住を決意したわけです。

お店をオープンしたのは2018年の4月。このレンガ倉庫は、一部塗装して照明用のレールを設置しただけで、それ以外は手を加えていません。つまり、ほとんど大正15年に建てられたままの状態です。


photo by 木暮伸也

西原さん また、このレンガは深谷レンガといって、現在では作られていない貴重なもの。とにかくここはハコとして優秀で、景色もいいし、日中は窓からいい光が入るんですよ。

「世田谷でやったら潰れてしまうようなことが、下仁田ではできる」


photo by 市根井直規

─ 西原さんは、もともと地方に興味があったのでしょうか?

西原さん 私は東京出身で、横浜の郊外で育ちました。完全に渋谷が中心の生活をしていて、どうしても渋谷が近くになければ嫌になってしまうような人間だったんです。若い頃は特に都会至上主義で、田舎での暮らしなんて全く興味がありませんでした。自分が郊外に住んでいることすら憎かったくらいですから。

─ 「もっと栄えているところに行きたい!」と思うタイミングは、誰にでもあるのかもしれませんね。

西原さん でも、若いうちの田舎・地元嫌いはむしろ健全だと思っていますよ。視野が狭い…と言ったら語弊があるかもしれないけど、そういうふうに育てられることが多いから、仕方がないことです。

これが大人になると、車に乗れるようになったり、経済力が手に入ったりして、自分の意思で動けるようになりますよね。ある場所に「行かされる」のではなくて、能動的に「行く」になる。そうすると、結果つまらなくても経験になるから、色々なものが目に入るようになると思うんです。


西原さんにとって「残したい景色」のひとつである、青岩公園。
photo by 市根井直規

西原さん 私もこの歳になって、下仁田に移住してから、ショッピング以外で都会に行く必要性を感じなくなってきました。遊びを求めるときにはいい音楽を流していいお酒を飲めばいい。仕事においても、世田谷でやったら潰れてしまうようなことが、下仁田ではできる。

地方は家賃が安く、広い敷地を持ちやすいため、売れ筋に走りすぎず実験的に活動することができます。「インターネットが無かった時代には不可能だったけど、今ならやれる」という分野もたくさんあるはず。その点では、綺麗で静かな田舎には大きな可能性があると思いますよ。

─ 僕も、山里の景色を見るたびに「人生これでいいんじゃないか」って考えてしまいます。

西原さん この近くにも、青倉小学校という綺麗な木造校舎があります。近くの川は裸で水浴びしたいくらい美しくて、本当に最高なんです。ネギやこんにゃくのように分かりやすいものだけでなく、日常的な、大事な景色を残していきたいですね。

…こんなこと、下仁田に来る前は全く思っていなかったんですけど(笑)。

ウチ・ソトとの関わり、これからのこと。

西原さん 下仁田って、本当に人がいないんですよ。

─ 確かに…電車は何本も通過しているようですが、駅前を歩く人がほとんどいませんね。

西原さん だけど、移住してきた私たちを応援してくれる人はたくさんいました。古道具屋という業態やモノへの理解があるかはまだ分からないけど、地元の方々は心を開いてくれて。町を歩いていたら声をかけてくれたり、外国人の観光客が近くに来たときには店に連れてきてくれたりするんです。

─ 向かいの建物では、レコード店を始めた方もいるとか。

西原さん そうそう、近くのこんにゃく屋さんなんですけどね。私がここに来てから、こちらの店の営業日に合わせてオープンされています。かなり面白い人で、山の頂上の古民家にスピーカーをつけて、音楽を流してパーティーするんですよ。それがもう本当の爆音なんですが(笑)、周りに家がないから誰にも迷惑がかからない。

─ そのパーティー、行ってみたい!(笑) 下仁田の外部とは、どんな関わりがありますか?

西原さん 地方に来てからは、他の地方との比較を意識するようになりました。山梨県の富士吉田というところで開催されたフェスティバルに出店したことがあるのですが、街の中に大きな富士山がそびえ立っていて、観光客も多いためゲストハウスなどが充実していました。

どちらが上とか下とかではありませんが、「ここにあって、下仁田に足りないものは何だろう?」そして「逆に、下仁田にしかないものは何だろう?」と、地方それぞれ独自の特徴について考えるきっかけになります。

たとえば…下仁田がもともと「遊びの街」だったことはご存知ですか?


下仁田駅前、中央通りの町並み
photo by 市根井直規

西原さん 駅から北西側のエリアは細い路地が続いていて、ビリヤード場や個人経営のパチンコ店などが並ぶ歓楽街だったんですよ。ビリヤード場に関しては「撞球場」という看板のある建物がまだ存在していますし、駅前には当時の面影が残っているんです。

─ 全く知りませんでした。そんな歴史があったんですね。

西原さん 若い人が来ると、つい案内したくなっちゃうんですよ。

─ あふれでる下仁田愛…! 最後に、これからの下仁田について考えていることはありますか?

西原さん 最近お店に来てくれた方で、「私もここで何かやりたい」「店をやってみたい」と言ってくれる人が出てきました。地方へ移住するとなると「仕事がないんじゃないか」「不便じゃないだろうか」という心配があるのは事実ですが、初期衝動は大切だと思っています。純粋な力になりますから。

これからここで何かやってみようと考えてくださる人には、情報の共有や提供などで応援したいと思っています。下仁田は面白い物件の宝庫なので、いろいろ紹介できますよ。

トンビが飛んでいるのを眺めながら、山の話だったり、クリエイティブの話だったりをしましょう。

【古道具・熊川】
住所:群馬県甘楽郡下仁田町下仁田430-1
Instagram:kumagawa_antiques
Facebook:kumakawa899

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