次世代に受け継がれた絶品の干し芋。小さな事業を未来へつなぐ「稼ぐための合理性」

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市根井直規 まちのわーくす

インタビュー

富岡市で、個人の農家が小さく始めた干し芋づくり。高齢となった創業者は閉業を検討していましたが、農業を手がける法人が製造を引き継ぐことに。小さな事業を継承するカギとなる、土地性や総合的なしくみを持った「稼ぐための合理性」のお話です。

ローカルで生まれ、地域のリソースをうまく使った「小さな事業」。それはたとえば、ほっぺたの落ちる大福を作るお菓子屋さん。布を美しく染め上げる染物職人。みずみずしいトマトを栽培する農家。

「知る人ぞ知る逸品」と地域に愛される彼らですが、少なくない割合で、共通した困りごとがあります———それは、後継者不足。

「せめて1人でも、引き継いでくれる人がいれば。」

そんな思いを残しつつ、惜しまれながら閉業していった事業はいくつあるでしょうか。

そんな中、富岡市にある静かな地区・下丹生で、個人が始めた「干し芋」の製造が法人によって引き継がれるという物語が生まれていました。

スライスせず丸干しにした干し芋は、肉厚でなめらか。珍しい皮付きタイプも販売している

戦後の高度経済成長期に、みずから作り上げた器械で干し芋を製造し、リヤカーを引きながら売り歩いていた吉田さん。そして、吉田さんが高齢となり閉業を検討していたところに、法人として手を差し伸べた高橋さん。

お二人の会話からは、途絶えさせてはならない「小さな事業」を継承するための心構えや手がかりが見えてきました。

写真左:吉田俊雄さん
「甘楽ほしいも」考案者

写真右:高橋忠宏さん
農業法人ウィーズ農園群馬(株) 代表取締役

吉田さんの「分身」として、功績を引き継ぐ

柔らかな木漏れ日の入る、吉田さんこだわりのお墓の前でインタビュー

— 甘楽干し芋の発案者である吉田さんと、農業法人の高橋さん。お二人が出会ったときのことを教えてください。

高橋さん うちの会社は東京で野菜を販売していたんだけど、せっかくなら地元のものを売りたいよねって話になってさ。そしたらこんにゃくパークの現会長、横尾さんが「美味しいものがあるよ」って教えてくれたの。それが吉田さんの干し芋だったんだよ。

だけど吉田さんが干し芋づくりを止めようとしていたから、「こんな良いものは作り続けなきゃいけない」と思ってさ。それでサツマイモの栽培からお手伝いもするようになった。今は全ての製造プロセスを基本的にウチが担っていて、吉田さんにはアドバイザー的なポジションで関わってもらってる。ぜんぶ、自然な流れだったんだよね。

— 僕も一袋いただきましたが、甘くて肉厚で、本当に美味しい干し芋でした。どうして作るのを止めようと思ったのでしょうか?

吉田さん 人生にはピリオドがあるんだよ。どうしても、同じ仕事を続けられなくなる年齢がある。俺ももう体が持たないから止めるよと言ったら、「もったいないから私が引き継ぐよ」と言ってくれた。

ただ、強いて言えば、高橋さんに手伝ってもらわなきゃならなくなった原因は俺にあると思ってる。分身を作れなかったんだ。

— 分身、というのは…?

吉田さん せがれのことだよ。子供がいないわけじゃないんだけど、子供を引き寄せられるような魅力ある経営ができなかったからさ。

だから今はカミさんを一番大事にしてるんだ。梁上げろ、下げろ、桑切ってこい、桑くれろ。そういう指示を全部聞いてくれて、その結果腰も曲がって。もう夫婦だろうが自分の人生を生きる時代だろ、それなのに俺の仕事を何でも一緒にやってくれてさ。しかも料理も上手なんだよ。こんないいカミさん、いねえだろ。

笑顔で干し芋をつくる吉田さんご夫妻

高橋さん 実際、夫婦だからこそできる作業っていうのは確かにある。物理的に1人じゃできない作業って多いんだけど、人を雇うほどでもないんだよな。

— 農業といえば、吉田さんは養蚕もされていたそうですね。その中でサツマイモづくりや干し芋への加工をしていたのはどうしてでしょうか?

吉田さん 養蚕に関してはそもそも「自分の畑で桑を育てればコストがかからないから」っていう理由でやっていたんだけど、うちは蚕を桑の葉が青い時期に収穫していてね。秋になって葉が落ちると、やることがないんだよ。その間に遊んでいても仕方ないから、芋の加工作業をしていた。つまり、労働力の配分だ。

高橋さん このあたりの地域だと、冬の間は場所を移動して働かなきゃいけなかったんだよね。スキー場とかさ。だけど、できることなら近くで働きたいから、吉田さんが「ここでできること」として始めたってわけだね。農業は収穫や植え付けの時期にボカン!と労働力が必要で、それ以外の時期はそんなに必要ない。だから常時雇用が難しいと言われているんだよね。

— 干し芋を加工する設備もご自身で作られたとのことですが…。

吉田さん 文献を色んなところから引っ張り出して、加工の温度管理を勉強したんだ。そして最初は木の蒸籠(せいろ)を使って蒸していたんだけど、あれは水を吸っちまってダメだね。重くなっちゃうんだ。だからステンレスとプラスチックでオリジナルの蒸籠を作った。難しいことじゃねえよ。

高橋さん いいものを作る人は、道具を自分流にカスタマイズして使うって言うからね。

「合理的にしなきゃ、硬いまんまは食えねえよ」

— すごく言い方が悪いのですが、干し芋事業を引き継ぐ際に「ブランドをもらっちゃえ」とは考えなかったのでしょうか?

高橋さん 考えなかったなあ。吉田さんには顧問料や施設使用料を支払って、こちらの法人と吉田さんがWin-Winになるようにしたんだよね。それは吉田さんの年金の足しに、生きる糧に少しでもなってほしいから…っていうのも理由の一つだし、そもそも開発費や報酬として適切な金額を支払ってでも継続できる事業じゃない限り、残っていかないと思うんだよね。博物館に入れない限りは、事業にしないと残せないからさ。

— 吉田さんへのリスペクトと、継続性の基準として支払っているわけですね。それ以外に、こういった小さな事業を継続するために必要なことはありますか?

高橋さん 最近、働き方改革が全面に出てきたじゃない。そうなると、根性とか、何時間残業したとか、そういうものが無意味になってくる。だから現代の社会の中でこの事業は継続できるのか?を再検討する必要があるよね。合理的な仕組みづくりというかさ。

例えば、もとの事業に現代風のエッセンスを入れて、相乗効果を狙う業態を作っていくこと。今までは「農業+工場勤め」とか、兼業農家とは言っても関係ない職種をやっている人が多かったんだよ。だけどこれからは、「農業✕ライター」みたいに、お互いがお互いの力を高め合うような働き方もアリじゃないかな。


— 合理的な仕組みづくり、ですか。

吉田さん 合理的にしなきゃ硬いまんまは食えねえよ。おかゆ食わなくちゃなんない。俺も自分の70年間を反省してる。なんでこんな大ごとをしなくちゃ生きられなかったんだんべなってな。

高橋さん ちゃんとした仕組みをまるごと考えるのは、絶対に必要だよね。それは「その事業に対して金融機関が金を貸すか?」っていう基準でもいいかもしれない。実際に借りるかは別として。金融機関は、その事業に継続性と利益が見込めるかどうかで判断するわけでしょ。引き継ぐっていうのは、そういうもんだと思うよ。

— シビアな目線で現実を見つめてこそ継承が成り立つと…。

高橋さん それと、再現性があることも重要だね。もちろん「特殊な技術」や「隠れた裏技」みたいなものを持っていても損はないけれど、ゆくゆくは全員がそれをできるようにしていなくちゃね。理想としては、せがれじゃない、第三者に譲れること。吉田さんが自分ちの農地を俺らに託してくれているようにね。これができてる農家って少ないんだけどね…。

— 「甘楽ほしいも」における合理的なポイントは、どのあたりになるのでしょう?

高橋さん 実は、うちは調剤薬局を運営する会社のグループなんだよ。だからまず、薬局の店頭で売ることができる。そして、こんにゃくパークでも売れる。つまり、販売経路を持っていることだよね。

さらに周辺地域に絞って販売してるから、送料がかからない。農業において送料は相当な比重がかかるコストだから、ここが削減できるのはデカいんだよね。

「金の価値が低くなった」現代で重要なのは、評価してくれる人の存在

下丹生地区の田園風景

— 現代の社会に合わせた仕組みづくりが必要…というお話がありましたが、現代と過去とではどんな部分が異なるのでしょうか。

高橋さん 例えばさ、ラーメンなんかは300円で食えた時代があったわけ。それが今、700円とか800円出さなきゃ食えねえだろ。いろんなものの値段が上がってる。つまりは「現金」の価値が低くなってきているってことなんだよな。成長経済で。

吉田さん 我々はいい時代に生まれたな、と、それだけは思う。昭和33年に中学校を卒業して、集団就職して。その頃は高度経済成長期ど真ん中だから、やることなすこと全てが金になったんだよ。次から次へと物を買って消費も伸ばした。とにかく運が良かったと思うよ。

— まさに、0から1を作る仕事がたくさんあったわけですね。

高橋さん 0から1を作るのは、それはそれで大変なんだよ。そのものが正しいかどうか分かる前に、みんなやめちゃうんだから。だからこそ、残さなきゃいけないものを残す必要があるってこと。現代風にアレンジしたら残せるような、ポテンシャルのあるものに付加価値をつけて大きくしたり、次の世代に繋いだりする。それが我々の仕事だよね。

— 農業に絞ってみると、何か変化はありましたか?

吉田さん 俺のときは、例えば1日肉体労働をすると3000円~4000円がもらえたんだけども、「繭とこんにゃくをこれくらい収穫したら1日1万円だ」って計算ができた。それなら他の勤め人よりリッチな生活ができるぞと考えたわけだ。

俺は頭も良くねえし口も下手だから、いくら金が必要か、それを叶えるにはどうしたらいいかっていう逆算をしただけなんだよ。

サツマイモの苗。寒い時期には、この場所で干し芋の加工を行う

高橋さん 昔は個人農家が多かったから、「苗の肥料買いました、タネ買いました、できた米を売りました。そうして残ったのが僕の給料です」って感じでキャッシュフローが単純だったんだけど、今では事業でやることが多くなったわけでしょ。事業でやる場合はそこに人件費の計算が加わる。

ついでに赤字が出た際は、それが構造的な赤字なのか、努力で改善できる範囲なのかを見極めていかなきゃならない。つまり頭を使った戦略が必要になるんだよね。補助金ありきで作戦を組んじゃう人も多いけど、ちゃんと戦略を考えなくなってしまう恐れがあるから危険だね。

— ちなみに、吉田さんの干し芋に限らず、こういった「小さな事業を会社として引き継ぐこと」において留意しておきたいポイントなどがあれば教えてください。

高橋さん その事業が、人が評価してくれるような「良いもの」であるならば残していくべきだと思うんだ。どんなにいいストーリーがあっても、認めてくれる人がいなきゃね。吉田さんの干し芋は、手に取って食べた人が「おいしいわ」って言ってくれているのを見て、価値があるんだと確信したからね。

吉田さん 俺なんかは、最初は干し芋を引き売り(移動販売)してたんだから。当時は、自分が志して作ったものは自分で売るのが当たり前だった。そこには人に言えねえような苦労があるけれども、消費者の反応が直接届くのが良かったんだ。おいしいかまずいか。価格は適切か。それで自分にも自信がついていったんだよ。

高橋さん あとは土地性だね。この辺りもそうだけど、いま農地になっている土地を農地以外に有効活用することは難しくなってきている。人口減少による経済後退が主な原因なんだけど、もはや今ある畑は畑として使うのが一番良いのよ。少し前なら倉庫やらアパートやらが建てられたかもしれないけど、人口が減ってる地域は農地をいかに残すかっていうのを考えることが最優先。どうしてもここでやりたい、と土地にこだわるなら、事業のあり方を考え直したほうがいいかもね。

吉田さん 我々のような戦後の人間が死んだ後、今後どうなるか。みなさんは頭がいいんだから、色々をよく覚えて感じて、先手を打たないといけないよ。市根井さんもいい質問をするんだけど、果たして実社会でそれを誠実にやってますかってのを聞きたいね。

— 堂々とハイ、とは言えないです…。今回のお話を伺って、自分の仕事にも無関係な話ではないと思いました。

高橋さん そうだよ。社会の縮図。これは農業に限った話じゃないよね。これからどんな事業が残り、どんな事業が消えていくのか。残る事業の強みは「スケールメリット」なのか、「新しい業態」なのか。そういったことは、これから真剣な問題になってくると思うよ。

 

 

労働力の配分という観点から干し芋づくりを始め、それを第三者である高橋さんに託した吉田さん。

自社の商品として取り扱っていた干し芋がなくなることを悲しみ、吉田さんの名とともに継承している高橋さん。

お二人には、お互いの仕事への尊敬があり、それぞれが大切にしたいことを大切にする精神があるように見えました。

残したいものを残すために必要なのは、愛だけではない。しかし、結果的に愛こそが合理性をつくる。

「地域の一次産業を継承するには」から始まった取材ではありますが、これは高橋さんのおっしゃる通り、今後の社会を生きていく私たち全員に関係する話です。

そして今度は、私たちの番。私たちが残していきたい、残さなければならないものは、どんなものでしょうか。

<甘楽ほしいもが買える場所>

旨味もストーリーもたっぷりな「甘楽ほしいも」は、以下の場所で購入することができます。

濃い日本茶と一緒に、ぜひどうぞ。

  • 調剤薬局グループ ウィーズ
  • セブンイレブン富岡バイパス店
  • こんにゃくパーク
  • 峠の釜めし本舗 おぎのや 横川SA
  • ホクレン商事

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