高崎市末広町で66年続く中島豆腐店は、今では少なくなった町のお豆腐屋さんです。世代を超えて守り続ける味と食文化、継続の背景にあるファミリーヒストリーを、三代目店主の田中亮治さんと良子(りょうこ)さんに伺いました。
お豆腐ができるまで

早朝4時、まだ暗いうちから中島豆腐店の朝は始まります。
まずは豆腐の基本的な作り方を簡単に説明します。
1.大豆を水につける。
2.水につけた大豆を細かく砕く(この状態を「呉(ご)」と言います)。
3.呉を釜で加熱する。
4.おからと豆乳に分離する。この豆乳がすべての豆腐製品の原料になります。おからは後述のドーナツなどに使います。


豆乳に凝固剤を加えると固まって豆腐ができます。
濃厚な豆乳を型に入れそのまま固めたのが絹ごし豆腐です。絹のようななめらかな舌触りが特徴です。

絹ごしよりやや薄い濃度の豆乳で固めたものを一旦崩し、型に入れ、圧力をかけ再度押し固めたものが木綿豆腐です。味しみがよく、崩れにくいのが特徴です。


木綿については柔らかすぎず固すぎずというのを大切にしています。きっちり同じ製法でやっても日ごと固まり具合が違ってくるそうで、澄まし粉や水の量、型に入れる量や押し固める力で調整します。亮治さんの磨かれた手の感覚と繊細な仕事によって、毎日変わらぬ味と舌ざわりが生み出されているのです。
木綿豆腐の豆乳を最初に固めたとき、崩す前にそのままお玉ですくって器によそったものが「寄せ豆腐」です。豆の甘みとみずみずしさのバランスがよいのが特徴です。

できたての温かい寄せ豆腐はまた格別。その時を狙って朝早くに来店する常連さんもいる。
一番濃厚に作られる絹ごし豆腐用の豆乳は、そのまま飲む豆乳としても販売されています。まろやかでほのかに甘く、早朝の体に沁み渡ります。1日40袋ほど作られますが、ファンが多く、早い時間に売り切れてしまう日もあるのだそうです。

何年やっても、毎日やっても緊張する。看板商品の油揚げ
亮治さんが「厚みがあって大判で、うちの看板商品と言ってもいいですね。」と語るのが油揚げです。

専用の豆腐を作り、カットし、重しを乗せて水を切り、一枚一枚丁寧に揚げて出来上がります。
「油揚げを昔から変えないで作ることは特に大切にしてきました。でも油揚げが一番難しくて、毎日やっていても揚げた時にどんな状態になるか予想ができないんですよ。」(亮治さん)
その日の豆腐の固まり具合によって、揚げたときに上手くいくように厚みを調整しながら丁寧に包丁で切っていきます。柔らかい時は膨らみすぎないようにやや厚めに、しっかり固まった日は薄く。わずかな違いを感じ取り毎日細心の注意で調整しますが、それでも「完璧だ!」と思う日はそんなに多くはないそう。

豆腐が浮かぶシンクの心地よい水音と、奥深い作業に淡々と向き合う様子に得も言われぬ尊さを感じ、しばらくお仕事ぶりに見入ってしまいました。
中島豆腐店と家族の歴史
中島豆腐店は、良子さんの祖父である中島良作(りょうさく)さんが昭和33年に創業。もともと牛乳屋さんだった建物を中古で購入し末広町のこの場所にお店を開きました。良作さんは体が弱かったことから、祖母のウメさんが中心となりお店を切り盛りし、80歳を超えても油揚げをあげるなどしてお店を支えたそうです。
二人の子どもである二代目の肇(はじめ)さんも小さい頃から店を手伝いながら育ちました。当初は別の仕事をしたい思いもあったそうですが、一生懸命働く母・ウメさんの姿を見て、店を継ぐことを決心。おいしい豆腐作りを熱心に追求し、今の中島豆腐店の味を確立させました。55年前に肇さんと敦子さんが結婚。良子さんと妹さんもここで育ちました。

二代目・肇さんのころは多方面に豆腐を卸していて、ほとんど休みなく製造や配達をしていたそうで、家族揃って休日に出かけるということもほぼなかったとのこと。良子さんは父の背中を見て、大変な仕事だなと感じていました。
「小学生の時の夏休みも、お店は休めないから、私は親戚の海水浴に一緒に連れていってもらったりで。今思えば、父も母も家族一緒に出かけたりしたかったんでしょうけどね。『何でうちは…』なんてわがまま言っちゃったり、若い頃は実家が豆腐店っていうのが何だか嫌だったりして。そう思いながらも手伝っている自分もいてね。だからやっぱり嫌ではなかったんでしょうね。」(良子さん)

当時サラリーマンだった亮治さんとは32年前に結婚。群馬県内の別のところで暮らしていても、子どもが小さい頃から一緒に連れてお店を手伝うなど、良子さんは常に中島豆腐店には関わり続けていました。それでもお店を継ぐことは、良子さんにも肇さんにも、思いもよらないことだったそうです。
きっかけは、毎年12月の年の瀬に作る「つと豆腐」という、お正月のための特別な豆腐。受注数も多く手間もかかるもので、家族総出で作るのが年末の恒例でした。亮治さんはその手伝いを通して、中島豆腐店の変わらぬ製法と伝統を守る豆腐づくりを受け継いでいきたいと決心しました。
「主人のそのひと声に最初は私も戸惑いました。結婚して家を出て、姓も田中に変わって。それでもここに戻って父と同じ豆腐店をやるのかと。大変さもずっと見てきたし、普通のサラリーマンの妻でよかったんだけどな…って(笑)。」(良子さん)
18年勤めた建築資材の専門商社を退職し、亮治さんが中島豆腐店に入り、肇さんとの豆腐作りが始まりました。製法は「教える」だけでは伝わらない難しいもの。時に失敗しながらも20年にわたり毎日毎日、自らの手で感覚を掴んでいき、中島豆腐店の味が受け継がれていきました。

「一緒に作っていた頃の父は、職人として厳しい一面もありました。今は引退して自分の時間を過ごしていますが、たまにお店の様子を見にきてくれたり、味を確かめては、おいしいと言ってくれています。」(良子さん)

お正月の特別な食文化「つと豆腐」とは
「つと豆腐」はお店のある末広町や、近くの本町、柳川町、田町など、高崎の古くからの市街地のごく限られた地域でお正月に食べられているものです。昔々、現代よりも物流にはるかに時間がかかっていた時代、田町のあたりから始まったという説があります。内陸の群馬では練り物のナルトを手に入れることが難しく、形や食感を似せた豆腐を作りお雑煮に入れられるようになったのがつと豆腐で、今も続いているお正月の食文化です*。
*茨城や福島、飛騨高山でも同じような食文化がある。藁で巻いたり、名前が「こも豆腐」だったりする場合も。
つと豆腐が出来上がるまでには、とても手間と時間がかかります。まず木綿豆腐よりも固いお豆腐を作り、固まったものを一旦崩したら、絞って極力水分を出しきります。その後さらに押し固め、豆腐を簀巻きにしてから1時間近くボイラーの熱で煮ます。時間をかけて加熱するのでぽつぽつと細かい「す」がはいるのも特徴で、お雑煮の汁がよく沁み込みおいしいそうです。

初代の頃からの巻き簀を今も直し使い続けながら、つと豆腐が作られてきた。
つと豆腐を作る時が1年で一番忙しく、人手も必要なので家族総出で作ります。釜煮の回数もこの時ばかりは通常の日の4倍以上になります。亮治さんの代になってから多い年は1,000本ほど、肇さんの代の最盛期は2,000本も作ったそうで、亮治さん曰く「作り終わった時はもう放心状態です(笑)。」
この地域の他の豆腐店でも作られていましたが、時代とともに町のお豆腐屋さんが少なくなっていき、市内で今もつと豆腐を作っているのは、亮治さんの知る限りでは中島豆腐店ともう1件のみだそうです。ほかの店でつと豆腐に親しんできた近隣町内の人たちも、今は中島豆腐店を頼りに買いに来ます。また、その味を知る人が遠方からも買い求めます。この地域で育った人が今は離れて暮らしていても、「つと豆腐がないとお正月が過ごせない。」と、独特の食感や味に愛着をもって東京などから注文してくれるそうです。例年12月29日・30日に販売。水につけて保存すれば1週間以上は日持ちします。
2024年は亮治さんの入院からの復帰が年末になってしまったこともあり、つと豆腐が作れませんでしたが、「今年はなんとかやれそうです。」とのこと。
「もう一度やってみるか」

「実は去年、やめようと思ったんですよ、豆腐屋を。もうやっていくのも結構きつくて。実際ハローワークに登録してみたりもしたんです。」(亮治さん)
町のお豆腐屋さんの数は、昭和30年代がピークで全国で60,000件ほど、今はその10分の1以下になっています。高崎市内でも一昨年も昨年も店を閉じたお豆腐屋さんがあったそうで、数少なくなってきています。
大きな要因は大豆の仕入れ価格の高騰にあります。国産大豆はここ数年で2倍の値段になっています。以前であれば、一時的に価格が上がる年があっても、その次の年くらいには戻っていたそうですが、最近では上がる一方で戻りません。比較的安価と思われた輸入大豆に関しては3倍以上の価格高騰になっているそうです。
「後継ぎの問題もあるかもしれないけど、正直儲からないです、この商売は。機械のメンテナンスや部品代も急に何倍にも費用が上がってきちゃって、小さい豆腐店はどこも続けていくのが大変だと思いますよ。会社規模でやっていたお豆腐屋さんも無くなっていっています。」(亮治さん)

時を同じくして、亮治さんが入院をすることになってしまいました。腰の圧迫骨折の治りがかんばしくないことから受診したところ、リウマチが発覚。あちこちの関節を損傷していたことがわかり、5週間の入院。左膝に人工関節を入れる手術をしました。それでも再びお店を続けようと心が奮い立ったのは、息子さん夫婦の応援でした。
「二人とも薬剤師だから手堅い仕事なのにね、お嫁さんのほうはキッパリやめて豆腐店の仕事をやりたいって言ってくれたんですよ。じゃあもう一度やってみるかと。」(亮治さん)
亮治さんの復帰後は仕事量・製造量を見直し、通院の時間もとるため週4日の営業に変更しました。一方で、息子さんの妻・桃佳さんが中心となり、亮治さんが作ったお豆腐や油揚げから付加価値ある新しい商品を生み出し、より多くの場面で中島豆腐店の味を楽しんでもらえるよう展開しています。

2025年9月には店の奥に厨房を新設し惣菜製造業を取得。自慢の油揚げを活かしたおいなりさんや、おからサラダ、自家製大豆ミートを使ったガパオなど多彩な惣菜も販売できるように。ドーナツや豆花(トウファ)といった豆腐スイーツも好評です。
亮治さんも、桃佳さんも、縁あって外から中島豆腐店の家族になった人たち。お店を大切に思い一緒に守り支えてくれる、そんな魅力が中島豆腐店には確かにあるのだと思います。

豆花は土曜日限定で12時ごろから販売。
おいなりさんはお店の住所にちなみ末広がりの形に。
最近では、新しょうが漬が大人気の宮石青果店とコラボをしたおいなりさんが実現したり、若手シェフが食材を使わせてほしいと訪ねてくるなど、多方面から中島豆腐店の味が注目され始めています。マルシェやイベント出店をする機会も増やしていきたいとのこと。
「そんな風に声をかけてもらうことが、この一年ですごく増えてきて。去年の今頃は入院・手術して、あちこち痛くて落ち込んでいたんですけどね。そこからこんなに色々と動き始めている感じが、すごい面白いなって。ああ、続けてよかったなって思うんです。」(亮治さん)
余裕が出てきたら、手間がかかるがんもどき*や、よもぎなどを加えた変わり豆腐にも挑戦したいそうです。出来たて油揚げの格別のおいしさを、その場で食べてもらえるような商売もしてみたいと言います。
*2025年12月から、がんもどき発売となりました(曜日限定、数量限定)。
「今はごく定番のものを並べていますけど、若い方含め皆さんがどんなものを求めているのか興味はあります。できるものとできないものがあるかもしれないけど、お客さんの要望も色々と聞いて新しいことを考えてみたいので、お買い物の際にでもご意見をいただけると嬉しいです。」(良子さん)

もっと食卓が楽しくなる、おすすめの食べ方

しっかり水きりをしてから揚げることが肝心という生揚げは、そのきめ細かなおいしさに感動します。絹ごし豆腐、木綿豆腐、寄せ豆腐それぞれの生揚げがあるので食べ比べも楽しいです。オーブントースターでカリカリに焼くと揚げたてに近い味わいに。お醤油やめんつゆをかけて、薬味たっぷりで王道のおいしさをお楽しみあれ。

すき焼きやキムチ鍋など濃い味の鍋料理に油揚げを入れると本当においしいので、ぜひお試しを。香ばしくて肉厚、しみしみの油揚げはお肉にも引けを取らない鍋の具の主役になります。大きめのカットでほおばるのがおすすめ。中島豆腐店のお孫さんたちも「油揚げがないと鍋が始まらない!」というほど大好きだそうです。
寄せ豆腐は、そのままでおいしいのはもちろん、スプーンですくって鍋に入れたり、お味噌汁に入れたりすると食感が変わってまたおいしいとのこと。

中島豆腐店
群馬県高崎市末広町30
TEL 027-323-2706
営業時間 7:00~17:30
日、月、火曜日定休
◎お豆腐や豆乳は出来上がり次第販売
◎生揚げや油揚げの出来上がりは9:00~10:00ごろ(油揚げは水、金曜)
◎末廣いなりの販売は11:00ごろから
◎豆花(トウファ)の販売は土曜日限定で12:00ごろから
最新情報はInstagramで