世界各地から帰国した若者がキャベツ畑に集う – 「嬬キャベ海外協力隊」のはなし

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市根井直規 yuzame, LLC.

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インタビュー

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、「JICA海外協力隊」として開発途上国で活動していた若者たちが志半ばで緊急帰国した。彼らの成長機会となり、経験を活かすことも出来る場所──それは、夏秋キャベツ生産量No.1の「嬬恋村」だった。

ここは、嬬恋村にあるリゾートホテル「ホテル軽井沢1130」の会議室。真剣に資料を読み込んでいるのは、このたび「嬬キャベ海外協力隊」の3次隊としてキャベツの生産に従事することが決まった信岡さんだ。

信岡さんは東京で生まれ育ち、大学卒業後は日本の病院の臨床検査技師等に携わったあと、かねてより目指していた「国境なき医師団」へ歩を進めるため、JICA海外協力隊としてアフリカ・マラウィに飛び立った。

マラウィでの信岡さん(写真左)

マラウィ現地で国際医療の任務をする中で、コミュニケーションの壁に何度もぶつかった。言語だけでなく教養やお金の感覚も全く異なる人々を相手にする大変さがあり、なにか自分で実践したいことがあったとしても日本ほど身動きが取りやすいわけではない。

それでも、強い熱意を胸に、2年間の任期の中で世界の広さを知り、そのスキルと経験をもって日本に帰国する。だれも疑わずに、そんなふうに考えていた。

しかし信岡さんは、残り約半年間の任期を残したまま帰国し、現在はキャベツ農家の一員として収穫作業にはげんでいる。一見なぜ?と思われる状況だが、これには大きな理由があった。

未来を担う若者のために、今できることは何か

感染の拡大が懸念されはじめた3月、世界中に飛んでいる「JICA海外協力隊」の隊員たちに緊急帰国の要請が出された。JICA海外協力隊は日本国政府による制度で、農林水産や保健医療などの分野で技能をもった若者たちが海外に滞在し、現地でボランティア勤務をするものだ。

「海外で活躍したい」「自分のスキルを活かしたい」と志を抱く若者たちが例年1000人程度派遣され、2年間の任期をまっとうし、現地の人々の笑顔に見送られて帰国してきた。その流れが今、コロナウイルスの感染拡大でぱたりと中断されてしまっているのだ。

フィジーで理学療法士として勤務していた武田さん(嬬キャベ海外協力隊Faebookより)

以前「つぐひ」内でも取材を行った甘楽町の自然塾寺子屋では、彼らJICA海外協力隊の派遣前研修などを担当しており、これまで数多くの隊員たちを世界へ送り出してきた。自身も青年海外協力隊の卒業生である代表の矢島さんは、「漠然と、何かをしてあげたいと思った」と語る。

自然塾寺子屋代表・矢島さん

「これまでは、ある国でテロや緊急避難の勧告があっても、いったん帰国したり別の国に滞在したりという流れがありました。しかし世界的な状況である今回に関しては、中断して帰国せよという判断になったのです」

そもそもJICA海外協力隊の隊員は、「人の役に立ちたい」「途上国に対して自分の力でなにか出来ないか」という思いを持っている若者たちだ。慣れない海外に派遣されることを自ら選択し、壁にぶつかりながらも達成感を持って帰国し、経験豊富な人材としてまた世界中に羽ばたいていく。そんな、未来を担う存在である彼らの気持ちがくじけないように、何かできることはないか──。

志半ばで続々と帰国する協力隊員たちは自宅待機となり、不安を抱えたまま生活を続けることになる。矢島さんは、彼らの気持ちを想像するとやりきれないんですよ、とつぶやいた。

続々と情報が更新されてゆく日々の中、あるニュースが矢島さんのもとに飛び込んできた。それは、海外から日本に派遣されている「外国人技能実習生」がコロナウイルスの影響で入国できなくなっているというものだった。この制度は主に途上国の外国人が日本で農業や工業などの技術を学び、母国の発展につなげるための仕組みであるが、実は日本に不足する労働力を補う重要な要素、という側面もある。

このニュースは様々な産業に影響をもたらしたが、特に打撃を受けたのが農業だった。その中でも、夏秋キャベツの生産日本一を誇る群馬県嬬恋村では慢性的に人材不足となっており、2020年のキャベツ生産が追いつかないかもしれない、と窮地に立たされていたのである。

自然塾寺子屋WEBサイトより

自然塾寺子屋ではアグリツーリズムや海外研修員の受入などで日本の農業文化を世界に届ける事業も展開しているため、こちらもまた他人事ではない。しかし矢島さんは、この状況がある意味で突破口になるかもしれない、と考えた。

「これは遊びじゃないんだよ」

「場所は違えど、日本の農村で『協力隊活動』をすることはできないだろうか」。矢島さんは動いた。

まずは隊員たちの派遣元であるJICAに対し、「帰国した隊員たちを嬬恋村に派遣することはできないか」と問い合わせた。しかしJICAは国内に対する協力隊活動の経験がない。そのうえ世界中に赴いている協力隊や専門家も緊急帰国となり事務局は忙殺。対応が難しいようだった。

「帰国者の支援やりましょう!と持ちかけても、『じゃあ誰がやるんだ?どこがやるんだ?』という話で止まってしまうんです。とにかくリソースがない状態でした」

3月末にはほとんどの協力隊員が帰国する。そこから2週間の経過観察を経て、4月初旬の時点で完全に宙に浮くことになってしまうのだ。とにかく急を要する事態である。

矢島さんはまず、群馬県民の隊員だけでも集められないかと考えた。JICAの群馬デスクと群馬県に相談し、嬬恋村の農協などに赴き調査を実行した結果、ニュースの通り200人近くの実習生が入国できなくなっているようだった。嬬恋村としても、急いで人手を確保しなければならない状況に追い込まれていたのである。

収穫の様子(嬬キャベ海外協力隊Faebookより)

無事に群馬県とJICAからの許可も降り、残りは「農家からの理解と協力」さえ得ることができればプロジェクトをスタートできることとなった。「嬬キャベ海外協力隊」プロジェクトは、農家と隊員が直接雇用契約を結んで業務を遂行する計画であり、賃金を支払うのは農家自身となる。

「最初に同行した隊員は7名。もちろん農業未経験者ばかりです。7名中2名は女性だったのですが、文化的に女性の労働が少ない領域であるため、なかなか受け入れの手が上がらず難航してしまったんです」

これまでも男性の採用が凡そを占めていた現場であり、嬬恋村の農家にとって若い女性が働くことへの心理的ハードルは高いようであった。夏〜秋に繁忙期となる嬬恋村のキャベツ農業は実際にハードワークであり、「ここで働けたらどこに行っても大丈夫」と言われるほど。

「これは遊びじゃなくて仕事なんだよ」「女はいらない」……。そんな言葉をかけられながらも、女性2名を含む5名が手を上げ続けた。そして、なんとか5軒の受け入れ農家が見つかった。

ステークホルダーとともに

嬬恋村では通常、4月中旬〜8月中旬にかけてキャベツの植え付けを行い、6月下旬〜10月末に収穫する。そのため、プロジェクトのスタートから6月中旬までは比較的かんたんな作業が続くが、収穫が始まる6月下旬にはさらなる人手が必要となる。

自然塾寺子屋では、2次隊員、3次隊員の募集も行った。緊急事態宣言が解除されてからは首都圏や関西からの応募者も増え、現時点では合計11名の隊員がキャベツの収穫に従事している。

隊員たちが滞在するのは、「ホテル軽井沢1130」というリゾートホテルだ。当初は別の温泉宿などに宿泊する計画もあったが部屋数が少なく、考えあぐねていたところに紹介されたホテルなのだそうだ。宿泊業界においても自粛期間を終えて売上を回復させるフェーズである中、フロア貸し切りの宿泊体制を実現できたのは、ホテル軽井沢1130の総支配人・鈴木さんの力が大きい。

「嬬恋村は、観光と農業が一体になって、業種を越えて人々が交流するように働きかけなければならない場所なんです。いろんなことが混沌とまじわりあう、そのための拠点になるのが本来のホテルの役割ですから、隊員のみなさんが寝泊まりしてくださることに大変意味を感じています」(鈴木さん)

そんな鈴木さんにも背中を押されて、今日も隊員たちは午前1時〜2時にホテルを出発し、キャベツの収穫作業に入る。

「前進するためのバッファ」としての嬬キャベ海外協力隊

1次〜3次隊のみなさん

「大学を卒業してから小学校の体育教師になるつもりでしたが、教育実習に行った際に自分の経験不足を感じました。ひとの先生になるのであれば、外でいろいろな経験を積むことが必要だと思って、JICA海外協力隊として海外で働くことにしました」

こう語るのは、嬬キャベ海外協力隊員として嬬恋村・田代地区に入った大木暢也さん。彼は経験豊富な教師になることを目指し、2018年1月から1年9ヶ月間、カメルーンで体育を教えていた。

また、ザンビアで体育を教えていた岩井あみさんも、JICA海外協力隊に入った理由として「自分の強みを見つけて、うわべだけではない、しっかりした人間になりたかった」と話す。そんな彼らには、嬬恋村での仕事はどのように映っているのだろう。

宮田峻弥さん

もちろん、「農業が楽な仕事ではないこと」は隊員たちも知っていた。それでも帰国後の働き方として「嬬キャベ海外協力隊」を選んだ理由を、1次隊員のひとりである宮田峻弥さんが答えてくれた。

「とにかく不安しかなかったから、猶予の期間が欲しかったのかもしれません。ふつうにアルバイトをする選択もありましたが、日本の”ふつう”の中で働いたら、生活がもとに戻ってしまう気がして」

海外での生活に慣れ、グローバルに活躍する人材として歩み始めたところにかけられた帰国命令。彼らにとって嬬キャベ海外協力隊として働くことは、当時の姿勢、前進の志を忘れないための手段だったのかもしれない。宮田さんは続けて、

「率直に、ものをつくるのって大変なんだ、と思いました。普段自分たちが何も考えずに口にしているキャベツが、こんなに様々な人が携わって、手間がかかっているものだとは知りませんでしたね」

と語る。

嬬恋村は日本を代表するキャベツの産地であるが、その裏側、構造を知る機会は少ない。日常から離れた領域にあるという点では、海外での勤務経験に似た要素がある。嬬キャベ海外協力隊プロジェクトは、それぞれ異なるインパクトを受けて帰国した隊員たちが仲間と経験を共有し、新たな地へ旅立つためのバッファとして機能しているようにも見えた。

未来に羽ばたくために、課題に直面する

自然塾寺子屋・事務局長の森さん、代表の矢島さん

戦後の開拓政策により発展してきた嬬恋村のキャベツ農業は近年、慢性的な人材不足に悩み続けている。日本全国をみても、農業の従事者数は1990年〜2010年の20年で半減しているうえ、2030年にはさらに半分になると予測されている。

嬬キャベ海外協力隊プロジェクトはJICA海外協力隊隊員たちの居場所をつくり、彼らの成長および発展を目指すことが目的であるが、実施プロセスを通して地方農業の賃金や労働環境の課題も見えてきた。

自然塾寺子屋は甘楽町を拠点にし、今後も多様な地域でグローカルなまちづくりを続けていく。そのインスピレーションが方方に波及し、世界中が健やかになることを目指して。

 

自然塾寺子屋 https://terrakoya.or.jp/

嬬キャベ海外協力隊プロジェクト https://terrakoya.or.jp/tsumakyabe/

■これまでの取材記事

西上州の里山に根づいた、「農」を中心に世界の人が行き交う輪。NPO法人「自然塾寺子屋」の物語

敬意がつなぐ人と人―ベトナム人エンジニアと築く中小製造業の未来

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