「何もない」がある。前橋で岡 正己さんに聞く、街を楽しみ続けるヒント。

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片山昇平 ライター / 編集 / プランナー

インタビュー

冒頭から個人的な意見を述べれば、今の群馬で一番おもしろい企画をするのは今回取材をした【岡 正己】さんだ。これまでに「前橋〇〇部」や「赤城ブリザードサウナ」といった企画・イベントを数々立ち上げており、それらは今でも「あの時のイベントは・・」と語られることが多い。私自身もいくつかのイベントに参加をさせてもらい、そのすべてで共通して感じたことがある。岡さんは特別なことをしていない、彼が切り取っているのは「前橋にある日常」なのだ。

ぼくらが群馬を語る時、いつも都会と比較をしては、足りないコトを引け目に感じてしまう。観光資源が豊富な地域と比較をしては、弱い部分を引け目に感じてしまう。でも、そんな変えられないことをいつまでも気にしていてもしようがない。岡さんのやってきた企画や、その意図にこそ、群馬の日常を楽しむ秘訣がある気がしている、そう思って今回話を聞いてみた。

| プロフィール(岡 正己 さん)

1980年生まれ。群馬県前橋市出身、前橋市立第三中学校、前橋市立前橋高等学校卒業後上京、文化服装学院スタイリスト課を卒業後、スタイリスト岡部文彦氏に師事。3年のアシスタント期間を経てフリーランスのスタイリストとして起業。ファッション雑誌、ミュージシャン、タレント、広告などのスタイリストとして活動。2009年、地元前橋を盛り上げるために帰郷。2010年11月、前橋市内初となるコミュニティラジオ局、株式会社まえばしCITYエフエムに開局と同時に入社。以後プロデューサー、事業推進ディレクターとしてラジオを通して前橋にて数々の事業を企画・推進。2017年2月12日、前橋市議会議員選挙で初当選。

下記にこれまで岡さんが携わってきた代表的な企画を一部紹介します。

前橋〇〇部

前橋で「〇〇したい!」という想いを持つ人が集まり、繋がり、実現するためのプラットフォーム。〇〇の中には、自分の好きなモノ・コト・趣味などを入れて、部活を立ち上げる(例:前橋ワイン部、前橋ジオラマ部、前橋除雪部)。「組織」を作るのではなく、誰でも使える「システム」を作りあげたことが評価され、2015年のグッドデザイン賞も受賞をした取り組み。その自由さと分かりやすさから、現在は全国37箇所の市町村に【ご当地〇〇部】が発足し、前橋発の文化として全国に認知された。

赤城山ブリザードサウナ

極寒の赤城山の寒さを全身で体感するテントサウナイベント。氷上のワカサギ釣りで有名な赤城山の湖面が凍結するまでの閑散期の時期を狙った新しいアクティビティの可能性を探るべく行った企画。開催前に行ったクラウドファンディング でも達成率127%を記録するなど、開催前から盛り上がりを見せた。

|前橋にもどる為、スタイリストから地元ラジオ局の営業へと転身

今回の取材は、前橋商店街の一角にある岡さんの事務所にて行った。

—— 今日は宜しくお願いします。POPEYE読みましたよ!表紙に載っていたのもそうですが、2ページにわたって紹介されていたのは驚きでした。

元々、カメラマンの友人がよくPOPEYEの仕事をしていて、編集者に自分のことを紹介してくれたことがきっかけで取材の機会をもらったんだけど。たまたま編集の方も群馬県出身だったり、実は2年前の選挙から自分のことを知ってくれていて、市議会議員がこうやって話す機会が少ないのもあってか、“副業OK”ってことや、“意外と自由な面がある”ってことを話していたらページが増えて、気づいたら2ページで組まれていたんだよね。

—— 実際、掲載後の反応はどうでしたか?

全国誌っていうパワーもあってか、色んな人から連絡をもらいました。

同業者から連絡をもらうこともあれば、全く知らない人からの連絡もきたし、政治のコミュニティアプリを開発しているベンチャー企業からも連絡をもらったり、本当に色んな人から連絡がきたのは驚きでした。そのどれもが「励みになりました」「刺激になった」という連絡で、嫌な反応は一つも無かったね。

—— ああ、その気持ちは分かります。全国で読まれているカルチャー誌に、身近な人が出ることや、前橋(群馬)が紹介されていることの嬉しさはすごいあって、自分もSNSで周りに自慢しました(笑)

ありがとう、そういう意味でも色んな人の刺激になれたのは良かったね!

—— 現在は市議会議員という立場で仕事をされていますが、元々どんな仕事をしていたんですか?

29歳までは東京でスタイリストをやっていて。そこから、2人目の子どもが出来るタイミングで自宅を前橋に移したんだけど、始めはこっちでやりたい仕事がなくて、東京でスタイリストの仕事を続けていたんです。「良い仕事があったら転職したいな」と思っていたタイミングで前橋にFMラジオ局が出来るって話を聞いて、「それでしょ!」となって、そこからコミュニティラジオ局の営業を始めたんです。

—— ラジオの仕事自体は、当時スタイリストをやっていた岡さんの感性に響いたんですか?

元々ラジオは好きで。小さい頃から朝ごはんのお供はラジオだったし、そこからずっとラジオを聞いていたんだよね。

東京にいた時もSHIBUYA-FMってラジオが大好きで、たしか78.4MHzだったかな。当時はradikoも無かったから、そのエリアに入らないと聴けないっていう面白さと、DJがかける選曲が相当カッコよくて、渋谷でタクシーに乗って、ラジオをSHIBUYA-FMにするだけでタクシーの中が激オシャレ空間になるワケですよ。

—— 激オシャレ空間ですか(笑)

だから、よく渋谷でタクシーに乗った時には「78.4MHzで」と運転手にお願いをして、激オシャレ空間による移動を楽しんでいたんです。それくらいラジオは好きで、それ以外に自宅でもよく聴いてたし、前橋にラジオ局が出来るって聞いた時は、単純に「可能性あるな」と思ったりもして・・

—— 可能性というと?

テレビを見ていると視覚やら聴覚やら身体のほぼ全ての感覚が奪われるけど、ラジオは「〇〇しながら」っていう聴き方が出来るメディアだし、丁度そのあたりから、radikoが出てきて、ラジオが“残るメディア”へ変化をしたことも可能性が更に増したよね。

それにラジオ局なら番組も作れるから、これまでにスタイリストとしてやってきた「表現」の部分も活かせると思って、「企画職を希望します」って書いて応募したら、『そんな職はない』と言われ、そのまま営業として配属されました。

| 群馬出身って言ったら「ダサくね」って言われて、言い返しも出来ないし、否定も出来ないし、半笑いのままフリーズしちゃった。

—— 現在は、公私共に前橋を拠点に色々と活動されていますが、そもそも岡さんが地元に目を向けたのはいつ頃だったのでしょう?

スタイリストになったのは、24歳の時なんだけど。その時は逆に何も考えてなくて・・むしろ、「あんまり好きじゃない」「どうでもいい」っていう気持ちの方が強かったかな。ある時、友人との会話の中で「群馬出身」って言ったら、『ダサくね』って言われて、言い返しも出来ないし、否定も出来なくて、半笑いのままフリーズしちゃったことがあって。

—— (笑)

その時は自分の中でも「確かに」と思っていたからこそ、そんな反応をしちゃったと思うんだよね。でも、【自分が生まれた場所は変えられないし、変えるとしたら出身地をよくするしかない】って考え始めたのが26歳くらいの頃かな。

その頃から東京の友達が前橋に遊びに来てくれるんだけど、18歳まで過ごした前橋しか知らない自分は、街のことを全然分かっていなくて。始めはすごくイマイチな案内をして、それが友達に刺さらないって経験をしたんだけど、地元の友達がやっていた赤城山のふもとにあるカフェに連れていった時に、皆んなが「最高じゃん、ここ!」って言うわけ。

でもそれって、観光スポットでもなければ、ガイドブックに載ってる店でもない。外で音楽を聴きながら、ゆったり出来る空間と、それを作っているのが自分の友達だった、という“日常のプレゼンテーション”をした瞬間が一番刺さった時に「そっかそっか。そういうことね!」って感触を掴んだ原点かな。

そこから、そのカフェに東京の友達を呼んでイベントを続けていく中で(おれの地元も魅せ方によっては可能性あるかも)って考える様になっていったんだよね。

| とにかくパーティーを続けよう。理由がないとパーティーが開けないから理由を探してたんだよ

—— そこから、どういう行動に繋がっていくんですか?

そこから前橋のことをもっと知ろうと思って、色々調べる様になったよね。

「ダサい」って言われた時は、俺が何も知らなかったから地元のプレゼンが出来なかっただけで、魅せ方ひとつで変わるんだっていう成功体験がスタイリストをしていた時の感覚とすごく近くて、「もっと変えられるんじゃないの?」ていう想いが強くなっていくと同時に、「どうすれば、前橋が良くなるか?」って考える様になっていったかな。

当時は銀座のぐんまちゃん家にアポ無しでプレゼンに行ったりもして、「こういうのやったらいいと思うんですけど、どうですかね?」って。今考えたら、アンテナショップに提案をしにいったところで何の意味も無かったし、対応してくれた担当者もポカンとしてたけど、でもそれくらい行動に移したくなっちゃってたんだよね。

—— 無知だけど、すごい熱量を感じるエピソードですね。

そこから家も前橋に移して、なんとかラジオ局に入れたってところに話が繋がるんだけど。戻ってきた当初は、とにかくパーティーに飢えてて、どうやってパーティーを開くかだけを考えて生きてました。

—— 生活におけるパーティーの優先度、そんな高かったんですか?(笑)

東京にいた時はスタイリストっていう仕事柄、週末になると色んな発表会やレセプションパーティーに呼ばれては、新しい友達と出会ったり、イベントからイベントにハシゴするみたいなことが出来ていたので、週末の楽しみが“活力の源”になってたんだよね。だから、それを前橋でもやりたかったのと、そもそもおもしろいことがなかったから、単純にそれにも飢えてたね。

でも、ただの飲み会を開くのもさむいし、出会いを求める交流会みたいな形式にしてもなんか怪しい、、結局は、理由がないとパーティーが開けないから理由を探してたんだよ。その時に、ラジオ局に「前橋自転車通勤部」っていう、さえないコーナーがあって、そこに俺も参加するんだけど、そこで(これ本を出したらパーティー開けるじゃん!)って理由を見つけるんだよね。

当時、前橋自転車通勤部が発行していたZINE。その名も「チャリキ本ガン」

—— だいぶ動機が不純ですね(笑)

そこからは、パーティーを開く為に本を発行するっていうことをしばらく続けたんだけど。そこに色んな人が来てくれて、街の中での繋がりが出来ていったんだよね。

本を発行する度に、どんどん前橋の中で輪が広がっていったのを機に、前橋〇〇部を一緒に立ち上げたデザイナーの藤澤くんとも出会えて、一気に活動のドライブがかかった感じかな。

当時のことは【街を遊んでた】って話すんだけど、自分たちからすれば、とにかく退屈だった日常に色んな企画をのせて、地域活性化という名の下に前橋で遊んでいた感覚に近かったかな。

| 「現状に嘘をつかない・その場所らしくあれ」岡さんが考える地域でおこなう企画のコツ

—— 「音楽」だけのイベントにしてしまえば、年配の方が参加しにくかったり、「地域活性化」という、名目では若い人たちの姿が見えにくかったりする中で、岡さんの企画には、色んな世代が交じっている。特に20-30代の若い世代も、ちゃんといるのが特徴的な印象を持っているのですが、企画をやる時にいつも意識していることってありますか?

やっぱりダサくちゃダメみたいなところの意識は大きいかもね。

すごく格好良くする必要もないんだけど「なんとなくその空間にいることが良い」って思わせる魅せ方には気を遣ってるし、後は【現状に嘘をつかない】ってのが結構ポイントかな。

—— 現状に嘘をつかない、ですか?

例えばだけど、前橋にある“東京っぽい”店ってカッコ悪いって思っちゃうの、俺は。

【前橋らしくあれ】っていうか、目新しさだけでハリボテ感のあるお店ってイケてないって感じちゃうんだよね。でもそれって結局、「自分たちは都会だ」って嘘をついてるってことなんだよね、きっと。

—— あー・・なるほど。

前橋にあった300年の歴史を持つ白井屋ホテルを、45日間「泊まれないホテル」として再生したPARA HOTELって企画があったんだけど。その場所の空間演出を考えたときに、場所自体は、もう既にずっと前から存在していたわけだから、そこを変に変えるのではなくて、照明だったり、中に置いてある家具に地域の文脈をのせて、変に気取ることなく“なんとなくオシャレ”な感じを演出することは意識したかな。

やる以上は【都会では出来ないものをつくりたい】っていう想いもあるしね。

当時のPARA HOTEL(photo by kigure shinya/Lo.cul.p)

—— そういった「都会で出来ないこと」を地域でやる為に、東京で起きていることをチェックしたりしているのでしょうか?

そんなにチェックしてないかな。勿論、東京に友達がいるからそこから入ってくる情報は見ていたりはするけど、トレンドを追うような情報の取り方はしてないね。逆に愛知県でやっている森道市場だったり、地方で起きている感度の高いイベントや、お店の情報の方が気になるね。何故かって、こっちで出来る参考になるかもしれないから!東京の事例って「東京だから成り立っている」ことも多くて、そういうのは、あんまり参考にならないのもあって、もう特別意識はしてないよね。

| Power of small。継続する為に、小さいことから始める

今年の2月に開催された活動報告会での一枚。イベントには20-30代の若い人の姿も多く見られた

—— 今年の2月に開催された議員としての活動報告会の時には、岡さんの口から度々「Power of small」というワードが出てましたね。あの言葉には、どんな意図が込められているのでしょう?

この言葉を選択した一番の意図は、【継続するために、まずは無理をせずに小さいところから始めていく】ってことで、それがいつしか大きな結果になるってことなんだけど。

今年も前橋で開催されるイベントに「まえばし水合戦」ってのがあって、もう6年くらい前から市民有志の手作りでやっているイベントで。去年はそれを出来る範囲の広報と設営で手伝って、小さく始めた前例があるからこそ、今年は広報の素材もあるし、街の理解も得やすいって状況がつくれて、今年はもう少し大きなイベントに変わるんだ。

ただ、それを最初から大きい成功で掴もうとしちゃうと、あんまりうまくいかなくて、1回目は自分の出来る範囲で、「写真が取れれば成功だ!」くらいの感覚でいたから、今回も気持ちよくイベントが出来ているってことが言いたいんだけど。

そう考えるとイベントや企画に失敗って起きないんだよね。地域活性って文脈でやる以上は、そんなにすぐに結果が出るわけじゃないじゃん。そこに集客や利益を目標として設定しちゃうから、失敗が生まれると思っていて、失敗が起きると継続が出来ないっていう悪循環になっちゃうんだよね。

—— ああ、それは耳が痛い話です。やっぱり「集客」って分かりやすい指標なので、どうしても地域で何かをする時の指標にしがちです。

俺の場合は、「1人でもこう感じてくれたら良い」とか「1人でもイベントの発信をしてくれたら良い」とか「1人でもブログを書くやつがいたら良い」と思って企画をしているから、そう考えるとそのイベントに何人集まったかなんて、大した問題じゃなくなるわけ。

—— 例えば、100人集めるのが目的なイベントで、80人しか集まらなかったら、これ失敗ですもんね。

そう、失敗。だったら、もっと違う方向に視点を変えた方がよくて、例えば「すごい遠方からの参加者を呼ぶ」とかね。

—— その目標設定はシュールですね(笑)

でも実際に遠くから来た人って、わざわざココまで足を運んで来るわけだから、群馬を堪能しようとするじゃん?イベント終わって「じゃ、帰ります」とはならないよね、多分(笑)だから、数字だけにとらわれない、定性的な目標まで落とし込めると、地域の企画は長続きが出来るよね。勿論、それを求められるイベントの場合は別だし、決してそれがいけないと言っているわけじゃないけどね。

| 「何もない」がある。

—— ジモコロの編集長 徳谷柿次郎さんも言ってましたが、地方にいると「何もない」のフィルターがかかって一歩を踏み出せない人も少なからずいるのかと思います。今、群馬に住んでいる人や、もう少し概念を広げて、地方にいる人たちに向けて、自分の地元を楽しむ為には、まずどんなことから始めたら良いでしょうか?

俺は【「何もない」がある】と思っていて、それって見方を変えたらアドバンテージなんだよね。無ければつくることが出来るし、それって改めて地方にいるメリットだと思うわけ。何もなかった前橋だったから、これまでの活動がメディアに取り上げられてきたし、人気がない街だから事務所としてビルを丸々一棟借りられているわけだから、「何もない」ことによるメリットも沢山あることにも気がついて欲しいかな。

やれるフィールドは沢山あるわけよ。何でかって言ったら、何もねーから。

何でも揃ってたら、やれないからね。

左:アーケードにソファを置けばそこは市民のリビングに。
右:全面結氷した小沼。霧が出るとホワイトアウトしてとても幻想的、まさに何もない。

結局、言ってるヤツより行動しているヤツの方がカッコいいし、

持っているヤツより使っているヤツの方がカッコいい。

やりたい!って言うヤツより、やってるヤツの方がカッコいいんだよね。

前橋には、その土壌があるし、アーツ前橋に来ているアーティストを見てても、気づける人はどこにいっても気づけるし、楽しめる人はどこへ行っても楽しめてる。後は、その街に住む色んな人と触れ合っていけば、おのずと詳しくなっていくとは思うんだよね。

今って、情報の最短距離を行き過ぎてるが故に失っているものも沢山あって、その周辺に落ちている情報の大切さだったり、“自分の足で探してみる”っていう行為を大切にしたら、もう少し自分の住んでいる街の見え方が変わってきて、その街を楽しめるようになってくると思うよ!

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