商店街の片隅でまちの暮らしを支えてきた「島田フルイ店」の手仕事

殿岡渉のプロフィール写真

殿岡渉 あしか図案

Photo by市根井

インタビュー

前橋市の商店街の片隅にぽつんと佇む「島田フルイ店」は、調理用のフルイを始めとした木工品の専門店。機械化が進むこの分野で今も手作業で仕事を続ける島田さんに、このまちで育んできたお店の歴史や手仕事の魅力について伺いました。

前橋市の中心市街地、立川町通りの一角に古びた小さな商店があります。看板には大きく「島田フルイ店」の文字。

なんとも味わいのある佇まいで、この道を通る度に気になっていた、という人も多いかもしれません。冬の到来を告げる〈赤城おろし〉が吹き始めた11月の下旬、店主の島田泰男さん(83)にお話を伺いました。

人々の暮らしに寄り添ってきた手仕事の技

ガラス張りの表戸を開けて中に入ると、土間に組まれた棚の上には看板商品のフルイや裏ごし、せいろなど、木製の調理器具が大きいものから小さいものまでずらりと並んでいます。

店主の島田さんはこのお店の四代目。初代は竹細工職人だったのが、島田さんの父にあたる三代目・徳二さんの代から、薄い木の板を曲げて作るせいろやフルイなど、いわゆる「曲物(まげもの)」といわれる木工品も始めたそうです。

「親父の若い頃には、農家の人たちは自分で竹細工をして、自分のところの道具は作ってたんだね、みんな。だから竹細工をやっていてもそんなに注文が無かった。じゃあっつぅんで輪っかのほうも始めたらしい」

穏やかな口調で語る島田さん。長年ひとつのものを作り続けてきた職人さんらしい居住まいを感じました。

最初は本町通りにあったお店がこの立川町通りに移ってきた頃は、長屋が立ち並ぶ通りでした。それも甚大な被害を出した昭和20(1945)年の前橋空襲で焼けてしまったそうです。戦後、被災住民には新たな土地が用意され、多くの人々がそこにバラックを建てて生活を再建することになりました。終戦時、島田さんは6歳でした。

「子どもの頃の町の形っていうのは、覚えてないなあ。戦争で燃えちゃったから。戦後の町づくりは昭和24年頃かな、都市計画が始まったのが。17号は元々〈電車通り〉と言ってね。前橋と渋川の間を電車が走ってた。その当時の前橋はなんというか、雑多な町。小売店が多かった。みんな小さいお店だよね。(今のように)スーパーとかコンビニがないから。生活用品やら毎日のおかず、夕方になりゃみんな買い出しに出るっていう、そういう時代だったからね」

若い頃、一時は上京して市谷の印刷会社で6年ほど働いていたという島田さん。折しも1964年東京オリンピックの開催を控え再開発の進む東京で「工場の窓からオリンピックの輪っかを見ていた」そうです。先代の父・徳二さんが病気で仕事を続けるのが難しくなったとの知らせを受け、オリンピック開催の年に帰郷し家業を継ぐことに。

「子どもの頃から手伝ってたからね、仕事は覚えてたし。親父が出来なくなった時に(後継ぎがいないと)悲しむだろうと思って、じゃあ後継者になろうと」

オリンピックに沸く東京から戻り、家業を継ぐことに

「島田フルイ店」という屋号になったのは島田さんが家業を継いだ後のことで、「どうせなら主力製品を屋号にしてしまおう」というアイディアからでした。それまでの屋号は?と聞くと、「屋号もないような店だよ、普通の(笑)」と笑いながら答える島田さん。かつての町では、フルイを作っていれば「フルイ屋さん」、籠を作っていれば「籠屋さん」という調子で品物で呼び合うのが普通だったようです。島田さんが作ったフルイやせいろは、町に住む人や飲食店を営む人たちの生活や仕事に欠かせない物でした。

「家にガスが引かれているのが珍しい時代だからね。どの家もかまどでご飯を炊いたり、全部手作業の生活だったから」

幼い頃から前橋の町を見てきた島田さんですが、当時は同業のお店が町にいくつもあったそうです。今でも手作業で曲物を作り続けているのは市内では島田フルイ店のみ。こうした職人の技は今、全国的にも希少な存在となっています。

主力商品が交代しても、初代からの竹細工の技術もしっかり受け継がれている。こちらはせいろ(蒸し器)の蓋。「今は電子レンジなんかで蒸したりできるけど、やっぱり昔の蒸し器を使って蒸気で蒸したほうが美味しいとか、昔の味を恋しがる人がこういうのを使う」と島田さん。

金属製品や調理家電を使い慣れている世代からすると、こういった木製の調理器具は手入れが大変そうというイメージもありますが、島田さんは「ほとんど使いっぱなしで大丈夫。そんで50年くらいは保つ」とあっさり。そんなに長持ちするとリピーターは減ってしまうのでは…と余計な心配もしたくなるところですが、一度買った人は愛用の品を修理に持ってくるとのこと。なるほど。買ってそれきりではなく、直しながら長く使い続ける。サスティナブルな営みというものは案外、昔ながらの生活の中に自然にあったんですね。

島田フルイ店オリジナルの「メンパ」

お店にある商品の中でも小ぶりで可愛らしく目に止まったのが「メンパ」と呼ばれる蓋のついた弁当箱。朝、炊き立てのご飯を入れておいてもご飯がベタつかず、お昼に美味しく食べられるのだそう。金属やプラスチックの弁当箱と違い、程よく水分を外に逃してくれるのがその秘密なんだとか。お祝いや贈り物にも喜ばれそうな一品です。

似た物では秋田県大館市の「曲げわっぱ」が全国的に有名ですが、群馬県内でも中之条町入山地区の「入山メンパ」が知られています。「大館曲げわっぱ」に使われるのは秋田杉、「入山メンパ」は赤松やサワラと、地域によって材料にも違いがあります。形も小判型のものが多いですが、島田さんのメンパはヒノキの板を直径10~15センチほどの円筒形に加工し、山桜の樹皮で留めています。フルイなどと同じ材料を使っているので見た目にも丈夫そう。ヒノキの香りもまた、ご飯を一段と美味しくしてくれそうです。

材料となるヒノキの板。
接合部に使う山桜の樹皮は「表面を削りながら磨いて使いやすい薄さにする」とのこと。

フルイやせいろのベースとなる輪っか作りの工程を見学させてもらえることになり、店の奥の6畳ほどの作業スペースに上がると、畳の上からヒノキや竹の良い香りが漂ってきました。島田さんは今も現役で平日はこの作業場に座り、毎日作業をしています。

「昔はね、一枚の板を削り出したのをお湯で煮て、コロ状の物に巻きつけて丸く輪っかを作ったんだよね」

材料となるヒノキの板は均一な幅にカットされているものの、ここからは全ての工程が手作業。接合部を留める山桜の樹皮も、自然の状態のものを自分の手で使いやすい薄さになるまで磨き上げます。作業場にある道具はどれも美しく使い込まれていて、一つひとつがオーラを放っているかのよう。

年季の入った小刀。何度も研ぎながら使っているため刃が小さくなっています。
0.数ミリ単位の削りも指先の感覚を頼りに、ほとんどの工程を一本の小刀で進めていきます。
帯状に細長く切った桜の皮で、針を通して縫うように板同士を留める。

慣れた手さばきで一枚の板を綺麗な輪にしていくと、重なった部分を糊で貼り合わせ、大きなクリップのような形をした木製の「はさみ」で固定します。輪っかにした板の接合部に「針」と呼ばれる小刀の先で一つずつ穴を空け、丁寧に桜の皮を通していくその技術も、今はほとんど人の手から機械へと移行しているそうです。

手で作るよろこびを伝えたい。おまけの「竹トンボ」

島田さんは、お店で買い物をしてくれたお客さんに自ら削って作った竹トンボを配っています。子どもの頃、自分で作った竹トンボを学校に持っていって友達にあげていたという島田さん。今も作り続けている竹トンボにどんな思いを託しているんでしょうか。

「今の子どもたちって、工作でもなんでも、あるものを組み立てるだけじゃない。ものが出来上がった時の感動っていうのは、自分で材料から作らなくちゃ沸かないと思うんだよね。そういう、自分の手を汚して作った感動っていうのが、今の社会には無いんだよね」

竹トンボ好きが高じて作ってしまった高速竹トンボ。羽に厚みがあり、傾斜角も普通のものよりきつくなっている。飛ばしてみると段違いに速い。

竹トンボ以外にも、もう一つの特製ノベルティがあります。それは竹製のお箸。実は数年前、別の取材でお邪魔したことがあり、その時に頂いたこのお箸を私はここ数年気に入って愛用しています。

竹の両端が細くなったデザインのせいか、とても軽くて不思議と手に馴染む絶妙なバランス。丁寧に面取りされているので口当たりも自然でご飯が美味しく感じられるんです。これは商品になるんじゃないですか?と問うと「売るほどのもんじゃない」と笑いながら欲のない返事。

こちらも「売り物ではない」という竹のお箸。シンプルに見えても角が丁寧に面取りされていて、なだらかな曲線のフォルムが揃っているのはさすがの職人技。

跡取りはいないという島田さんですが、町の人々と育んできたものづくりの歴史と、生活に根付いた手仕事の技術が途絶えてしまうのは本当に惜しい気がします。いつの日か、島田さんの竹トンボで遊んだ子どもたちが自分の手で何かを作り始める、そんな未来を願っています。

一見入りづらいと思うかもしれませんが、棚の商品は島田さん自らお店で販売もしています。フルイやせいろ、メンパなど、日常使いのものを直しながら長く使い続ける。そんなものが一つでも手元にあると、生活の楽しみが増しそうですね。

こちらは島田さん考案の「おっきりこみ」専用お玉。櫛状の部分で麺をすくい、反対側で汁をすくうことができるというアイディア商品。でもこれも「売ってない(笑)」とのこと。

島田フルイ店

所在地:群馬県前橋市千代田町3丁目3-34
電 話:027-231-7783

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